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こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
昨日は陸軍中野学校二俣分校1期生のお方の取材をさせて頂きました。
御年102歳とはとても感じる事の出来ない聡明なお話しぶりのお方でございました。
驚きを隠せない貴重な証言の数々を映像に収める事が出来ましたが、そのどれもが現代を生きる私にとっては到底考えられない事ばかりでありました。
陸軍中野学校の同期生であった小野田寛郎さんの事もお話し下さり、終戦後29年の時を経てフィリピンのルパング島から出てきた小野田さんをTVで見た時。
「小野田ならそうだろうな」
「私たちは日本の国の為に生き延びろと中野学校で教えられた」
「玉砕はならん!何がなんでも生き残れ!そう命令されて小野田はフィリピンに行ったんだ」
「あいつはその命令をただ守っていたんだ」
「小野田は中野学校そのものなんだ」
そう話して下さいました。
その後、日本に帰国された小野田さんがブラジルに行った理由、そしてまた日本に帰って来て小野田自然塾を開いた理由。
そのお話はとても悲しい事であり、そして非常に考えさせられる内容でした。
映像は編集出来次第、順次公開をさせて頂きます。
視聴者の皆様へ
「あの時の事を、どうか伝えてほしい」
そんな願いを託された言葉を、私たちは記録し続けています。
戦争を生き抜いた方々の証言は、今を生きる私たちに問いかけます。
時代を超えて受け継ぐ為に。
戦争体験を未来に残す活動をメンバーとして支えてくださいませ。
限定映像や取材裏話など、特別コンテンツも公開中です。
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323 - 5
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
2025年8月15日に公開の映画「雪風 YUKIKAZE」をご存知でしょうか。
雪風は、当時の大日本帝国海軍所属、陽炎型駆逐艦の8番艦で、戦艦大和の沖縄特攻作戦(坊ノ岬沖海戦)にも参加し、他の艦の救援活動、沈みゆく大和の乗員救助など、16回以上の主要な作戦に参加し戦果を上げながら、ただの一度も大きな損傷を受ける事なく終戦を迎えた「幸運艦」「奇跡の駆逐艦」と呼ばれている艦となります。
因みに、このチャンネルで公開中の伊58潜水艦での戦争体験の話の中に出てくる、伊58潜水艦の艦長であった橋本以行艦長も、戦後に復員兵を輸送する任務を受けた雪風の艦長に任命されていましたが、直前にアメリカへ渡米する事となり乗艦する事にはならなかったそうです。
また現在編集中の幻の空母「信濃」に乗艦されていた方の体験談にては、信濃撃沈の際、海に飛び込み救助を待っていた時、その方を救助したのが、この駆逐艦雪風だったそうです。
以下、雪風が大和型戦艦と参加した作戦の時系列順です。
1944年10月24日
大和型戦艦2番艦 武蔵 レイテ沖海戦で沈没
1944年11月29日
大和型戦艦3番艦 信濃 戦艦から空母に変更、紀伊半島潮岬東南東沖で沈没
1945年4月7日
大和型戦艦1番艦 大和 鹿児島県坊ノ岬沖で沈没
全ての大和型戦艦との作戦に参加していた雪風が「奇跡の駆逐艦」と呼ばれる所以を感じます。
視聴者の皆様へ
皆様は映画を観にいかれますでしょうか。
私は雪風を絶対に映画館で鑑賞したいと思っております。
また映画「雪風 YUKIKAZE」公開までには、信濃に乗艦していた方の映像を順次公開をさせて頂きます。
引き続き、チャンネルの応援をよろしくお願い致します。
64 - 4
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
6月の取材予定について
陸軍中野学校二俣分校にてスパイ養成の訓練を受け、戦後フィリピンのジャングルで一人戦っておられ、終戦から29年の時を経て日本に帰還した小野田さんとも同期であったお方の取材が決定を致しました。
「国の為に死ぬ事」を教育されていた他の部隊と違い、「国の為に何がなんでも生き残る事」を教え込まれた、その体験は、今まで取材をさせて頂いた方達との対極に位置する戦争体験を取材させて頂きます。
また台湾に生まれ、海軍甲種飛行予科練習生の学科試験・適性検査を受け合格。
防府海軍通信学校に入校し訓練と通信技術の習得に励み、1945年7月、鹿児島県桜島の第五特攻戦隊赴任。
司令部通信科で任務に当たり同地で終戦を迎えたお方の取材。
幼少期に満洲へ移住し生活の拠点を築き、終戦前日の8月14日、葛根廟に近い山中でソ連軍戦車隊の襲撃を受け約700人が犠牲になった葛根廟事件を体験され、その事件では集団自決で400人以上が亡くなり、それに巻き込まれた2歳の妹を失ったお方の取材もさせて頂きます。
お一人お一人の体験された事を丁寧に聞き取りさせて頂き、映像を後世に残させて頂きます。
引き続き、チャンネルの応援をよろしくお願い致します。
136 - 1
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
本日は、妻と6歳の長男、4歳の次男、2歳の長女の5人で滋賀県醒井養鱒場に出かけてきました。
「お魚釣りをしたい」と言う長男の要望に、魚釣りをした事のない私達で試行錯誤した結果、辿り着いた場所がそこでした。
自然溢れる山奥に、澄んだ空気と川のせせらぎがとても心地よい場所で、何よりも醒井養鱒場で働かれているご年配の方達の子供達に対する優しさに感謝の気持ちでいっぱいです。
釣ったマスを捌いてくださり、塩焼きにして食べる事が出来るのですが、捌いている最中を長男と次男に見学させてくれ、命をいただく工程も優しく教えて下さいました。
改めて今日子供達と一緒に体験した事から、子供を育てるという事は一人の人間を育てるという事だと感じました。
普段は都会に住んでいるからこそ、子供達が自然と触れ合う事の大切さや、色んな事を教えて下さるご年配の方達と過ごす時間が、子供達の人間力を高めてくれるものとも感じております。
いつか聞けなくなる事を。
このチャンネルの映像も、いつか子供達の為になる事を願って。
また今を生きる皆様の為になる事も願って。
これからも応援を、よろしくお願い致します。
112 - 4
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
本日は視聴者の皆様に私よりご協力のお願いでございます。
当チャンネルでは、戦争体験者の方々の貴重な証言とメッセージを映像として記録し、次の世代へと伝える活動を行っております。
現在、さらなる証言を記録する為、戦争体験のある方(ご本人やご家族、知人など)をご紹介いただける方を探しております。
「うちの祖父、祖母が話してくれたことがある」「知人に戦争中の体験を語れる方がいる」など、どんな小さな情報でも構いません。
もし皆様の周りにおられましたら、お知らせ頂けますと幸いでございます。
皆様からのご協力を心よりお願い申し上げます。
メール:[info@heiwafilm.com]
77 - 0
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
4月23日、海軍の双発爆撃機「銀河」に搭乗されていた方の取材が決定を致しました。
この銀河は海軍の神風特別攻撃隊として特攻作戦に参加した機種の一つであり、その機種特性から機体には3名の搭乗員が乗っておりました。
どの様な思いで特攻作戦に望み、どの様な思いを隊員同士で話し合ったのか等、可能な限り多くの事をお聞きしたいと思っております。
視聴者の皆様へ
こんな事を聞いてきて欲しいと言う事がございましたら、コメント欄に記載をして頂ければと思います。
皆様の思いも一緒に、お話を聞きに行ってまいります。
引き続き、応援をよろしくお願い致します。
246 - 8
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
2025年4月6日 日曜日
本日は多くの人達が桜の咲いた街並みを、その景色をそれぞれに見られたのではないでしょうか。
満開の桜に春の訪れを感じ、新たな門出の始まりをそれぞれに感じられた事と思います。
少し前の私には思う事が出来なかった事。
それは今から80年前の4月6日の出来事です。
1945年4月6日から11日にかけて行われた第一次航空総攻撃。
陸軍特別攻撃隊として沖縄に向けて万世飛行場より飛び立った一つの部隊がありました。
陸軍特別攻撃隊
第73振武隊
1945年4月6日に九九式襲撃機で出撃
現在、映像を公開している上野さん(写真上段右端)の元教官であった小澤三木大尉(写真中央)も、その隊員のお一人でした。
昨年、陸軍特別攻撃隊に志願した方、命令を受けた方のお話を聞かせて頂く中で聞いた言葉。
「散る桜、残る桜も散る桜」
今年見る桜には、過去を懸命に生きた方達がおられた事に思いを馳せます。
393 - 2
視聴者の皆様へ
新年明けましておめでとうございます。
2025年は戦後80年目を迎えます。
80年前の今日と比べ、現在は非常に恵まれた環境で物質的にも豊にはなりましたが、精神的な豊さは年々失ってしまう社会になってしまったと感じています。
「日本で生きる人たちへ」では、今年も可能な限り戦争体験者の方達の体験とメッセージを後世に残すべく、活動をして参ります。
戦争体験者の方達の体験とメッセージから、普段は忘れてしまいがちな当たり前にある物事への感謝を。
道徳心、他者への思いやり、物事を慈しむ心を思い出して頂ければと感じております。
このチャンネルの動画が少しでも多くの人たちに届き、毎日頑張れる力を与えられる事を願って。
そして心身ともに充実した2025年になる事を願っております。
2025年も、応援をよろしくお願い致します。
148 - 6
こんばんは。
いつもチャンネルの応援をありがとうございます。
11月18日〜20日の3日間、佐賀県にて戦争体験者6名の方達の取材を行ってまいりました。
幼少期に体験された戦争体験を主に、当時は子供であった視点から経験した体験を取材させて頂きました。
また父が招集され戦死された方達として、戦後は父を亡くされた遺児として歩んだそれぞれの体験も記録させて頂きました。
印象に残っている事として、就職をする際、父がいない事に対して企業側から身元保証が出来ないとの理由にて採用を見送られた事を、複数名の方がおっしゃっていた事には大変衝撃を受けました。
また両親を共に亡くし、戦災孤児として兄弟がそれぞれの親戚に引き取られ離れ離れに育った方や、海外にて父を亡くされた方の元には未だに父の遺骨が帰ってきていない事、その事から「私の戦争は終わっていない、父の遺骨が帰ってきて初めて戦争が終わるんです」との言葉には、79年経てど戦争体験者の方達それぞれの戦争は終わっていない事を知らされました。
戦後79年目を迎えた2024年の今年、8月ジャーナリズムに対して、
「毎年毎年、8月になると戦争の特集ばかりでうんざりする」
「過去の事をいつまで言っているんだ」などの声が上がっている事が話題になりました。
このチャンネルでも、その様なコメントを書き込まれる事がありました。
「いつまでも終わった事を長々と」
「いつまで当時の事を言っているんだ」
2024年現在
戦後生まれは1億932万人(全人口の87.9%)
逆を言えば今を生きる1,000万人以上の方達のそれぞれに79年前の戦争の記憶がある事を忘れてはならないと思います。
また戦争が終わった後にも戦禍を生きた、たくさんの人たちの歴史がある事も知らなければならない事だと思います。
そして私たちは、その方達から直接話を聞ける最後の世代へとなりつつある事もです。
今回、取材をさせて頂いた方達のお話も「学校教育だけでは知る事の出来ない」幼少期の戦争体験と戦後の混迷を一生懸命に生きた人たちの体験でした。
映像は編集が完了次第、公開をさせて頂きます。
引き続きチャンネルの応援をよろしくお願い致します。
190 - 6
連絡先
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